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Posted by あしたさぬき.JP at

セブン!セブン!セブン!

2010年10月19日
























遥かな★がふるさとのウルトラセブンは、ウルトラシリーズの中では、一等好きだった。
このウルトラセブンの世界は、デザインが素晴らしく良かった。
ユーチューブ
http://www.youtube.com/watch?v=tcbxNaqNXT4

特に、ウルトラホーク1号機は、アルファ号、ベータ号、ガンマ号が3つに分かれたりする戦闘機だ。
全部が集まったときの姿は、コンコルドの機体にも似て、美しかった。

水陸両用ポインターが基地へのは入り口や、戦闘機が、ゲートオープンというアナウンスで動いてゆき、BGMはわんだばわんだばで、滝を通って飛び出したり、山が割れて射出されたりするのを見て、わくわくしたのを思い出す。

制服もヘルメットも良かった。ドクタースランプの作者鳥山氏が良くウルトラ警備隊の制服を使っていたのを思い出す。
中でも、友里アンヌ隊員は、良かった。実際好きでしたね。何人目かの初恋の人。
ひし美ゆり子さん。
http://www.yuriko777.com/
これもユーチューブ
http://www.youtube.com/watch?v=SMu2lSwX2V4

結構、中野美奈子アナウンサーにも、少し面影が似ているように思います。
写真によっては、高木美保さんにも。  


Posted by jintaro at 23:14Comments(0)感傷にひたる

泣きたい夜に

2008年02月29日

中島みゆき、時代という歌。
センセーショナルな旅人の歌、人生の悲しみを乗り越えて、それでも悲しみを抱えながら前に進まざるを得ない人達の心の悲しみを歌っていると思える歌詞。
それが、初めて聞いた中島みゆきの歌。
彼女の声は、心の奥底に響いた。優しい歌である。
彼女の暗い歌のようなのが多いが、彼女の歌詞は決して悲しみをそのままにはしない歌だった。悲しみを感じながら、もうこんなところはもういいよ、さあ歩き出しなよという、舞台転換の場に似ている曲が多いのだ。

そして、久々に思い出した歌。
「生きていてもいいですか?」というアルバムの中「泣きたい夜にという曲。3拍子である。結構好きなものだ。この歌い方は大好きである。
今の時代にはそぐわないかも知れないが、大好きな曲だ。
歌詞は、これ。一人酒に似合うかも?

泣きたい夜に一人でいると、なおさらに泣けてくる
泣きたい夜に一人はいけない 誰かのそばにおいで
一人で泣くと なんだか自分だけ いけなく見えすぎる
冗談じゃないわ 世の中誰も皆同じくらい悪い
まるで、暗い流れを渡る雛魚(ひなうお)のように
泣きたい夜に一人はいけない あたしのそばにおいで

涙だけは おおきなタオルでもあれば乾くだろう。
けれど心の傷口は 自分では縫えない
子供の頃に好きだった歌の名前を言ってごらん
腕の中で聞かせてあげよう 心が眠るまで
なんて暗い時代を 泳ぐ雛魚のように
泣きたい夜に一人はいけない あたしのそばにおいで

なんて暗い時代を泳ぐ雛魚のように
泣きたい夜に一人はいけない
あたしのそばにおいで

泣きたい夜に一人はいけない
私の胸においで
  


Posted by jintaro at 21:41Comments(0)感傷にひたる

ゆき

2008年01月23日

高松では、珍しくなった雪が降った日のこと。
前夜にもみぞれ交じりの雨が、雪を期待させていたが、朝はいつもの朝の如く、暗く、雪の痕跡は残滓も残っていなかった。
渋滞を予想して早めに出た通勤の途中、予想通り渋滞でスローダウンしたとき、ふと気が付くと山肌に白い衣を被った五色台の姿。
やっと冬らしいと思う。この天気はしばらく続くのかも知れない。

寒くなると思い出す人がいる。
僕が小学校の3年の時、転校した先の近所にいた同年代の3人兄弟の末っ子の「ゆきお」。
彼は、学校でも人気者で、友人が多かった。
転校した先で初めてともだちとなった彼は、学校への行くときは、いつも一緒だった。
2年もすると、彼は新築した隣の家に引っ越ししてきた。
こうなると、腐れ縁・・・だった。
ただ、いつしか彼にはいつも暗い影が見えてきた。
その悩みを打ち明けられたのは、高校卒業してから。
彼の悩みは、実の両親ではない、だから自分はやりたいことをやらせてもらえない、だから自由がないということ。

深刻な悩みは、僕が知らない間に、彼を何回も家出に駆り立てていたらしい。
また、のほほーんと育っているあほあほ脳天気な僕を見て、うらやましいと思っていたようだ。そして、いつしかこんなやつに悩みを言っても仕方がないと思われていたのかも知れない。

僕が大学を卒業してしばらくすると、彼はまた家を飛び出し、工場関係の仕事をしていたようで、時折、自宅には帰らずに僕の実家に立ち寄っていた。

工場が休みになるのは、冬か夏なのだそうだ。
寒い時期に戻ってくることが多かったように思う。

そして久しぶりに会ったとき、こう人は変わるんだと思ってしまった。
彼のやせた頬、生気が感じられない。
おそらく、孤独という環境があったのか、言動もおかしくなっていた。
その後、年1回か2回、こちらに帰ってきたとき、連絡を取って合っていたが、僕の母親の怪我を機に、マンションを移ってしまい、2年半ほど音信不通だ。

寒い時期、雪が降ると彼を思い出す。そして、寒空に元気に生きていろよと祈るのだ
  


Posted by jintaro at 06:56Comments(2)感傷にひたる