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Posted by あしたさぬき.JP at

ここまで大震災の影響が?

2011年04月26日


写真は、今度、5月28日旭屋で演奏していただく、シタール奏者井上憲司さん。
楽しみです。
いつも僕がアプローチしているところが、イベントを自粛している関係で、活動場所がなかなか決まりませんでしたが、やっと一つ決まりました。
もう一カ所決まってくれればいいのですが。

そして。欲しいデジタルビデオが、大震災の影響で品薄に...。
CANONも、SONYも。
予約しても、1ヶ月先くらいと言われた。
困った。
そうは言っても買うもんね。
安いのん。
グニャグニャ三脚とケースを含めて71000円なり。
当初の予定より少なくてすんだけど。
大丈夫か、日本。もの作り。

今日は、頭が痛い。鼻水は確実に、花粉症を逸脱した状態。
風邪だろうか。  


Posted by jintaro at 22:48Comments(0)お馬鹿

納豆臭に加齢臭?

2011年04月20日


地震が多発している茨城出張帰りに稾納豆を10束購入。
クール便到着で食べてみるが、量が多く、喰いきれないし、女房は納豆喰えないなので、冷蔵庫が臭いと言い出す始末。
大量にあるので、早く食べないとと思い、2束分をとりだす。
稾に直接納豆がいれてある。
当たり前だのクラッカーだー、これは古すぎる。今じゃ当たり前だ敦子ちゃんだったか。
粘る納豆を稾の裏から押し出し、煮物を入れる皿に入れる。
残った納豆は、女房がスプーンで剥がして落とした。
皿の納豆は、およそ通常の6倍を超える量・・・・。
芥子2袋、醤油を入れる。
順番が違うと女房の声。最初によく糸を引くくらいまで混ぜるらしい。
もう遅い。醤油もどぼっと入れすぎたし。
そして、混ぜる、握力を使う。混ぜる、手がだるくなる。混ぜる、しんどい。
ひとつぶひとつぶが、ちゃんと分離しているようにまで混ぜて混ぜて、混ぜこねる。

大量の納豆を眺め、深呼吸をしたあと、一気に書き込んだ。
最近辛いものにめっぽう弱くなったからか、
か、辛い。辛すぎる。
醤油入れ過ぎた。薄めるのは、また稾を足す・・・?。
ぶんぶん、それじゃ、鍋焼きうどんが喰えなくなる。
女房がご飯にかけて食べたらと言う。
鍋焼きうどんにご飯か。
ぶんぶん、食い過ぎや。
我慢して、辛い納豆をかき込んだ。

納豆だけで腹がいっぱいになったが、鍋焼きうどん、ブロッコリーとトマトのサラダを残さず食べる。
食後、息を吐けば納豆臭、小便すれば納豆臭、ひえ〜。

翌日昼までこの納豆臭は続いた。
昼、CoCo壱番のカレーの入ったランチパックのパンを買って喰った。

納豆臭が少なくなった。小便は納豆とカレーのスパイス臭が混じっている。
昨夜、喰いきれない稾納豆をkanonさんとちゃちゃどんに配った。
引き取ってくれて感謝。納豆喰い続けるときっと納豆臭が加齢臭に変わるぞと思ってた。
晩飯は、図らずもCoCo壱番カレー。
これで納豆臭は、カレー臭に変わるぞっと。
まてよ、カレー臭は華麗臭?加齢臭?

朝も、ちゃんとトイレはカレー臭でした。
  


Posted by jintaro at 09:20Comments(0)お馬鹿

あほあほ日記? 霊園は怖かった〜の巻

2009年09月04日

名古屋にある八事霊園は、大正から昭和にかけて整備された丘陵墓地で、27万平方メートルの広大な敷地に5万基の墓があるのだ。

八事霊園をちょうど東に抜けたところに下宿があったのだが、いかんせん、大学へは霊園を通り抜けなければならない。
その間の距離、アップダウンを含めると約1㎞。
近道は、墓場の中の細道を抜けて行くんだが、1m程度の細道から2m程度の道。
途中で、車が通る道路に出て、ほっと出来るのだが。
ある日の深夜、しこたま酔って下宿に帰る途中、やっと車の通る道路に出て、安心して歩いていると、後ろから怪しげな車が。
にいちゃ~ん。振り向くと、特攻服にマスク、それも顔見せてやろか~とマスクを取ると、その時流行った名古屋の口裂け女伝説。
うげ~。逃げろ~と車の通れない道を丘の高みに向かって走る。

後ろを振り向くと、誰もいない。車は走り去ったのか、見えない。街灯の灯りが青白く道路を照らしている。行ったか、よく考えると、俺、中ラン着とるやん、声かけるわの~。ふと、気がつくと丘の上の方から音がする。
ばあちゃんからもらったシチズンを街灯の反対側に上げて、時間を確認する。深夜26時か。
うし、うしうしで丑三つ時やなと思いながら。変なもん出たりしてと思う。

ぽーんぽーんぽーんぽーん。
ゆっくりとして、規則正しい音。
なんじゃとて、もう少し、上が見えるところへっと。
何か見えるぞ。ぴょんぴょん。
おー人の頭じゃ~。
それもリズムに合わせて、深夜2時のジャンプ・・・。
こんなところで、トランポリンの練習か?って、ここ、丘の上っちゃ荷物なかなか持って来れんぞ。
もう少し近づく。
下はっと、・・うそっ 何もなし。ただ単に、墓石2mより高く飛んどる。
姿勢は向こうへ向いたまま、ぽーんぽーんぽーん。
ん?少しずつ、こっちに向きを変え始めた。
ひえ~、こわ~。
一目散で、丘を駆け下り、さっきの街灯の近くに降りた。
あの音はもう聞こえない。
下宿に付くと騒がしい。別大学の連中が空き部屋でのんでいるらしい。

数時間後、朝早く起きると、みんな起きてる。
どうしたん?夕べ空き部屋で誰かが飲んでたのでうるさくて・・・。
うそ、誰も飲んでないん?
皆で、その部屋に行く。酒や酒肴のにおいもしない????
ただ、これ線香の匂いやと言い出す隣人。
全員顔を見合わせ、沈黙。
ほな出かけよ。

その日、誰も下宿には帰らなかったとか。ひえ~。
僕は、1年後、下宿を変えた。今度の下宿は、花屋の2階だった。
今思うと、ぽーんぽーんは、時折、その花屋から聞こえるような気がした。
本当に気味悪かった。

水曜から首と肩が痛い。動いたり、歩くと結構痛い。
さて、何か乗っているのか。憑いているのか。  


Posted by jintaro at 20:12Comments(0)お馬鹿

【そこはかとなく可笑しい】猫

2008年11月18日

これもなんじゃとて。
"   
タグ :おもしろ猫


Posted by jintaro at 21:04Comments(0)お馬鹿

【はやく〜】犬が・・・

2008年11月17日

世の中にはおもろい犬もおるもんじゃ、
  

Posted by jintaro at 23:26Comments(1)お馬鹿

【あほあほ日記 おらおら編】

2008年11月13日

公開できるあほあほを思い出したので、久しぶりですが書きます。

いつからそうなったのか、覚えていないが、小学校1年の時には、普通にできなくなっていた「くしゃみ」。

普通でないくしゃみは、どうするのか。
説明するとこんなもの。

鼻がむずむずして、くしゃみが出る瞬間、ハクションの「ハ」の時に鼻をつまんで、くしゃみをする。そうすると、鼻から瞬間的に排出される大量の呼気がせき止められて、一瞬鼻の奥に圧縮され、その間に口から抜ける呼気が抜け、「くちゅん!」その後圧迫された副鼻腔の中に溜まった空気を出すため、つまんだ鼻を少し緩める。そうすると、鼻から「ちーん」とか「ピー」とかの音が出るのだ。

そういうふうに普段、くしゃみをしていたんだけど、手が使える時はいいが、手が使えないときには、悲惨なことになっていた。

鼻の粘膜と言うか、結構敏感で、鼻をつままないで、くしゃみをすると、くしゃみの瞬間、鼻の奥や鼻腔にかけて、激痛が出て、しばらく動けなくなるというもの。

だから、小学生以降からずっとこのくしゃみの方法だった。
しかし、いつ頃からか、この痛みが無くなっていることに気付き、解放されたんだが、さて、いつ頃だったのか。
これが思い出せない。

ちょぴとつきあう前はもうやめていたらしいが、大学では、していたことを覚えている。

いまでは、「はくちゅん、ちーん」ではなく、
「はっくしょおんおん、おらー」となっている。

いまでは、最後におらおら〜というのが快感になっている。   


Posted by jintaro at 22:22Comments(0)お馬鹿

おしゃべり猫 そのなはしおちゃん

おもしろ猫 やっぱこれが一番や 

滑り込みセーフな猫

2008年08月25日



こういう楽しみを持っているのは、きっと楽しいに違いない。

その証拠に、あのしっぽ。  


Posted by jintaro at 22:47Comments(0)お馬鹿

若葉の頃の紅葉[実はあほあほ日記]

2008年07月22日

草萌える初夏の話。
小学校を転校したばかりの頃だった。
昨今の河川工事の行われていなかった自宅前の川には、いろんな生き物や、植物がいた。
その川の近くに、僕はよく知らなかったのだが、大人の人はハゼの木と言っていたような記憶がある植物がいっぱい生えていた。その植物は、一本の柔らかくしなる茎に丸い葉っぱが飛行機の翼のように対になって並んでいるものだった。




転校したばかりでできた友達は、自宅の近くまで送ってきたりしてくれていた。
ある日、その植物をみんなが避けていることに気付いて、その茎から引きちぎって友人の方に触れた。
その10分後、友人の方が触れたところだけ赤くミミズ腫れになってしまった。
そこで、ぼくは意地悪虫が沸々と湧いてきて、その茎をしごいて、葉っぱをぜんぶなくして、茎を鞭のように振り回して、友人達を追いかけた。
その後疲れたのでその茎を捨て、集まってきた友人に何気なく背中に手を当てたら、10分後、友人全員の背中に見事な紅葉。あちゃー、と思いごめんと謝ったが、その瞬間思いっきりほっぺたを平手打ちされた。
間髪をいれず、僕のほっぺにおおきな紅葉ができて、僕は涙で友達は大笑い。
いやほんま、最悪の夏の紅葉でした。もちろん友達もそのかぶれは最悪だったでしょう。数日でなおっていましたが。

ちなみにそのころ、なぜか、僕は漆にもかぶれず、このハゼにもかぶれなかった。
体質というのを知った夏の思い出でした。  


Posted by jintaro at 21:40Comments(0)お馬鹿

あほあほ日記【ばか歩きの続き】

2008年07月20日

昨日は、納涼船のとみさん企画反省会で、帰宅後風呂は行って、ベッドで爆睡となってしまった。
今日は、07:28目覚ましセット時刻2分前に起床し、昨日の運び残しの機材を自室に搬入、汗だらだらで、シャワーに向かい、眼科検査に番町にある眼科にタクシーで向かった。

眼科検診では、瞳孔を広げるため、麻酔を目に入れるから、車での来院は禁止。
検査後4時間くらいは、瞳孔が開いたまま。だから、車では行けないのだ。

9:45予約で、検査準備15分、検査10分、10:35に終了。
外に出ると、強烈な光で目が開けられず、五木ひろしみたいに目を細めて、日が射す方向に歩きだした。瓦町をぬけ、食い物屋を探しながら、てくてくてくてく。栗林を腹が減った状態で抜け、てくてく。
11:13今里交番を過ぎ、てくてく。汗だくだく。頭にハンカチを載せた。
11:45長浜ラーメンに入ることにし、ラーメン、明太ご飯を食し、ファミマでちょぴ弁当を購入、12:15帰宅。
およそ8kmをてくてく歩き、足じんじん。あたまぼー。

途中、なにげにゲップをがまんしていると、口を閉じたままゲップが出た。
とたん、唇がぷるぷるぷるぷるぷると長く震えた。
ありゃ、おもろいやん。

ゲップではなく、普通に唇をふるわせてみると、3秒も震えず、すぐ終わる。
何回やっても同じ。JR栗林駅から今里交番まで練習を繰り返すが、全然だめ。
なんでやろう。

長浜ラーメンを出た後、またゲップ。これまた長い唇ぷるぷるができた。
くそ〜。俺あほやんと思いながら、また練習するも惨敗。

次回ゲップを待とう。  


Posted by jintaro at 23:07Comments(1)お馬鹿

あほあほ日記復活【バカ歩き】

2008年07月20日

もう10年前になるだろうか、高松市の企画で、中央公園から塩江温泉までの距離を歩いていこうというイベントがあった。
およそ、20〜25キロほどの距離になるのかな。
そのころ、僕は春夏秋はシーカヤックを漕いでいてレースに出たり、冬は雪山に上ってキャンプやら雪山の斜面をお尻で滑り降りる遊びをやっていたので、少しは体力に自信があった。

当日参加で中央公園から、香川町の体育館で小休止、その間先頭を察そうと歩き、四国新聞の一面表紙にも載ったのだが、先頭の歩行速度はおよそ時速7km弱。傾斜は全体にゆるやかな上りで、これが延々続くのだ。
先頭は年配のおじさんが3人。この3人がまた早く歩くんだ。
もうこれについていくのがやっとだった。
でも、塩江温泉になんとか、先頭グループで到着すると意外と体は疲労が蓄積していない、足も特に筋肉が張っているだけ。
修了書をもらい、温泉無料券があるので、入って帰るか、バスに乗るかと考えたが、今日は体がどれだけ持つかのチャレンジ日だ、そうだ歩いて帰っちゃえ、そう思ってまた来た道を歩いて帰ることにした。
道路の端を、てくてくてくてく、下り道をてくてくてくてく。
5キロほど歩くと、膝と足に違和感が、てくてくてくてく。
足のアキレス腱が擦れて皮膚がはがれて、てくてくてくてく。
膝に激痛が走り始めて、てくてくてくてく。
やがて香川町体育館をすぎててくてくてくてく。
足は前に進まんようになって、歩行速度は往路の五分の一で
、よたよたよたよた。
歩けんようになって、足を引きずりながら、公衆電話を探して、ずりずりずりずり。
夕暮れも過ぎ、闇の中、光り輝いたように見える公衆電話で、タクシーを呼び乗り込み、岐路についた。

翌日、歩けなくなって、会社を休んだことはいうまでもない。

教訓:下り道は意外と負荷がかかる。
歩行距離約40km、歩くもんじゃないわ。やっぱくるまじゃ。

ふと思い起こせば、18歳高校の卒業に仲良し3人で京都に遊びにいったときも同じことをしている。

夕方、京都の三千院が閉門していたので、横の道を山の方面へ川沿いに歩いていく。しばらく歩くと道はお寺の奥を過ぎ、やがて突き当たって行き止まりになった。
しかし、河の源流はこちらの矢印があり、誰かが上ろうぜと言い出した。
誰もが反対せず、そのまま山の川の源流へ道なき道を上り始め、500mほど進んだ地点で、山の端に夕日が沈むのが見えた。
後を遅れていた、一人がその夕日をみていて、足を滑らした、と同時に僕の足首を彼が掴む。
僕は、そのまま下に転げ落ちそうになり、先頭をいく友人の足首を掴んだ。
そのまま、3人は10mほど下に滑り落ちて、全身泥まみれになってしまった。

その日の宿に帰ったとき、宿の人に驚かれたことを思いだした。
どうやら、あのときから性格は変わっていない。
走り出したら止まらないのだ。
あほあほ日記久しぶり。  


Posted by jintaro at 20:52Comments(1)お馬鹿

あほあほもどき?(風邪編)

2008年01月14日



忘れもしない、平成19年9月1日転勤。
往復通勤時間と仕事量がどんと増え、お疲れモード。
その上に2つの試験が控えている中、
11月10日、喉の違和感を感じ、発熱も放置のまま、3日後社内の試験に突撃・・・・・・・・爆死。

その後、爆死の後遺症か、喉の違和感は、痛みと腫れ、声帯まで腫れてきて、ボーカルもままならぬ。

おーそうそう。

CHICAGO(コピーバンド)のボーカル(の内の一人)になってしまいました。
これがまた、ビックバンドで、面白いんだ・・・・ん。

話がそれそうに、・・・もどそ。

喉の腫れは、その後咳へと変わり、なんぼしても治らんので、正月明けて呼吸器科へ。
先生曰く「そりゃ、風邪の後、喘息になったんじゃ。」
?????

なんじゃそれ。
そういえば、昨年当初に同じ事言われたな。
一昨年の12月のみそかから、昨年の年初のはもっとひどかった。
あれは、・・・・
熱が出て、口の中の上が焼けるように痛かった。
年末だから病院も休み。
我慢しているうちに口の中喉に痛みが広がる。それでも我慢我慢と思っていると。
年明け早々にあることに気付く。
朝、妻にコーヒーを入れていて、あるはずの感覚がないのだ。
・・・・・・・・なんで、コーヒーの香りがしないの?

湯気が立つカップに鼻を近づけ、くんくん。・・・・・におわんぞ。
おおきく息を吐いてから、もう一度鼻で、ぐわわ~と吸う。・・・・やっぱりにおわん。
なんでじゃ。
冷蔵庫の中に顔をつっこむ。
なんちゃにおわん。

人差し指で、自分のへそを弄り、鼻に近づける。
無臭だ。臭くない。・・・・・・・・・そんなはずはない。夜風呂に入った翌朝でも一番臭うのに・・・まったりとした香り。
これは嗅覚脱失だ。
そういえば、トイレを綺麗にしていたのか、臭わんし。腹の調子もいいのか、うんこをしていても・・・。

まっ、命にかかわるものでもないし、医者には正月明けに行こうっと・・と思い、腹が減ったので飯を喰うが・・・。
あらやだ・・・・・・・味が無い。

まず、呼吸器科に行き、薬をもらい、耳鼻咽喉科で検査。
先生曰く「こりゃ治らんかも」
え~~~~。そんな殺生な。
飯を喰っても、無味無臭。

しかし、人間とはなんたるすばらしい。
パブロフの犬ではないが、条件反射的に、料理を見た時点で味や香りが頭に浮かんできたのだ。
もしかしたら、いつもそうだったのかも知れないが、そういうことに気付いたのだ。

そしたら、やることは一つ。
想像力で食事を味わい楽しむ。見た目・食感はわかる。あとは想像力。いままでの経験で一番うまい料理の味・香りを想像した。
なんか、うまいぞ~。うまく感じるぞ。このまま続いてもええかなと思いつつ。

そんなこんなで、こういう状態が2ヶ月近くも続き、去年の年初は悲惨というか幸福というか・・・。

今年もようやく、咳もほとんどおさまり、声帯の腫れも無くなって、ようやく高音が出るようになったんだが。

20歳になるまで、気が付かなかったことがある。
小さい頃から扁桃腺をよく腫らす子供だったので、医者に行くと出ない声で「のぞが痛い」と言っていた。
お医者さんも声が出にくいためそう言っていると思ったのか、何も指摘されずに放置されていた。
大学に入って、扁桃腺を腫らしたとき、
「のぞが痛い」と友にいうと。
「のぞってどこ?」
「ここ」
「そこはのど(喉)」
「うそ・・・・・・・・・まじ?」
「おまえ、20年もそれで生きてきたんか?」
「生きてこれた・・・なんとか」

風邪とアホは、うつしたらいかん。
  


Posted by jintaro at 10:01Comments(2)お馬鹿

あほあほヒストリー(線路編)

2007年12月01日




昔のことを日記に書いては、ほんまアホなことをしていたなと、苦笑するしかないのだが、そんな話をまた思い出した。

あれは小学生3年か、近所には琴電の踏切があり、側にほんの5m位しかない小さな鉄橋があった。
そこでは、友達とレール上に小石を置いて、割れて飛び散る様子を見ていたのだ。
ただ、その遊びは退屈になるのも早かった。
琴電は便数が少ないので、なかなか電車は通らず、線路で小石を置いては、じっと通のを待つのは苦痛だったのだ。
ただ、僕は結構熱中してしまった。
そこでは、何度か置き方を(石の間隔を変えたりして)工夫しながら割れる音のリズムが変わるのを面白く感じたり、5円玉もプレスされてぺしゃんこになったりいろんな実験をやっていたんだ。

ある冬の日、いっしょに遊んでいた友達が三々五々帰り、僕一人で夕闇が濃くなって行く中、線路の中で遊んでいたところ、遠くからぽーっという音が聞こえてきた。
僕は、電車が来る前にすぐ横の鉄橋を渡ろうと、立ち上がって2~3歩歩いた途端、枕木か何かに足を引っかけて、転けてしまったのだ。
「うひやー轢かれるわ」「こんなん2回目や」
と思いながら、レールの間で起きあがろうとすると踏切がカンカンと鳴り始めたのだ。
後ろを見るとライトを付けた電車が近づいてくるー。
「あわわわ」
あわてて、起きあがり鉄橋に走ると、その直前でまた転けた。
「うわ」
踏切の警告音が鳴り響き、近づいてくる電車の警笛が大きくなり、電車のライトも、もうすぐあと20mくらいと思った瞬間、横になっていた体を少し動かした。
すとん。
「あれ?」
体が40㎝くらい落ちた。
僕の頭の上を電車が、がたん・がたん・通り過ぎる。
「へーっ、すげー」

通り過ぎた後、起きあがってみると、そこは鉄橋との境目。鉄橋の枕木の間は抜けているが、そこだけ鉄橋を支えるコンクリートがそこになっている空間。
ちょうど子供が横になってすっぽり入れる広さだった。

それからしばらくの間、そこの場所が、僕たち仲間の度胸試しの場所になったのはいうまでもない。

余談だがその度胸試しを最後にしたのも僕だった。
当時、真っ赤なもこもこセーターをして、度胸試しスペースで電車を待っていたのだが、セーターが見えていたのか、僕が隠れている直前で電車が止まったのだ。

他人様に迷惑をかけて大目玉食らったのは、このときが始めてだった。
以後、電車を使っての度胸試し遊びは自然消滅した。
しかし、ブランコでは・・・・。

やめよう、この話。


  


Posted by jintaro at 23:40Comments(5)お馬鹿

あほあほヒストリー(悲しきお誕生日編)

2007年12月01日





あしたさぬき.JP グランドオープンおめでとうございます。
ついでにというわけではありませんが、
今日、お誕生日を迎えるあなた。
そう、そこのあなた、いくつになったか知らないけれど
おめでとうございます。

生きていさえすりゃ、人生丸儲けですよね。
苦しいとき、悲しいときがあるにせよ、
いつかは晴れる雨のように、
サンサンと降り注ぐ太陽の光はあなたに届きますよ。

さてさて、あほあほチック話に戻りましょう。
といっても今日は、少しまともな話?です。

実は小学生のとき、
誕生日のお祝いをしてもらった記憶がほとんどないのです。

なぜかといいますと、
もともと誕生日祝いをする習慣の無かった家なのです。
その上、誕生日が夏休みの真っ最中、それもお盆前。

学校での誕生会があるでしょうと思われますが、
夏休みなので、9月にすっ飛ばしされて、おまけの誕生会。
おおかたお盆で里帰りする友達は、当然こちらにいない。
転校して病気で休みがちな僕には、
あまり友達もいなかったのもありましたが・・・・・・。

じゃあ、両親からはといいましても、
なぜかケーキは出てこない。ホールとは言いません。
せめてショートケーキぐらいと思いますがそれも無し。

じゃあ何でお祝いかというと、卵焼きとか
そんな普段喰っているものしか。
あるのは少額のお小遣い増額だけ・・・。

そういうことで、僕の夏休みの間の誕生日は、
何事も無かったようにスルーされていたのです。
ほんと、他の誕生日の人がうらやましかったです。

物心つくころには
すでに祝ってもらうことが、こっぱずかしく思われ、
祝いを申出されても拒否するようになっていました。

しかし、実は誕生日に、自分だけのこっそり祝いを
時々やっていたのです。
題して「一人お誕生おめでとう会」
副題「くっちゃいけんといわれとるもんを食っちゃるー、おりゃー」

親からも食が細く、腸が弱いので買い食いが禁止されていましたが、
食べてはいけないものを、近所の駄菓子屋で買って、
河原でしこたま食って帰るのです。
でも、そんなとき、たまたま看護婦のおねえちゃんが
ケーキなんかを持ってきてくれたときがありました。
そのときほど後悔したことはありませんでしたが。

小食(そのときは)な僕はもう食べられなかったのです。
敏感な腸はすでに食った30分後には壊れていて、
便所へ行ったり来たりですから、
大抵2~3日間苦しんでしまうのです。
いまではそれも嘘のように、何でも食ってます。
人の一生は帳尻を合わすようになっているんでしょうか。
不思議です。

今日、この「あしたさぬき.JP」が誕生日です。
来年も同じ日、良い誕生日が迎えられることを祈ってやみません。
僕みたいに悲しき誕生日にはなりませんように。
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Posted by jintaro at 09:06Comments(5)お馬鹿

あほあほヒストリー(マッドサイエンティスト編)

2007年11月29日





話はいきなり飛んで、中学校。
すでに体調すこぶる良くなるが、
2年半の運動禁止令が出た後では、なかなか運動部には入れない。

仕方がないので、1年で美術部、そして2年の途中で科学部に転向した。

さて、そこで何をするか・・・・。

すでに4年前位にアポロ11号が月面着陸をしていて、
科学部ともなれば、夢はロケット技術者にと思ったわけではないが、
とりあえず、ロケットを作ろうと思い立ったわけである。

しかし、科学部の部長先生に言うと反対されるのがオチ、
それじゃあと、県立図書館へいき、
ロケットを推進させるだけの推力火薬の材料、比率、問題点、危険性、
ついでに花火の材料、爆発力の強め方などを、いろんな本から抽出。
ロケット花火の中身を分解し、研究。

総合すると、黒色火薬をベースに、他の金属を混ぜて爆発力を得ることになった。

理科室で硝○、硫○を入手。そして他の材料を慎重に均等に混ぜ合わせ、
木と紙で作ったロケット本体の胴体に封入し、導火線を入れて、第1号機。
火薬の増量バージョン。先端部の重心を重くしたバージョン。
火薬の層を三重にして多段的に推力を付けようとしたバージョン等を作成。

夕方、全員集合し、運動場の中央の地面を掘って発射台を作った。
「さて、方向は」

「あっちへ向けよう。」誰かが言った。

全員合意。学校の校舎の上に向けて、約1メートルの発射台設置完了。
「いくぞ」わくわく。

1個ずつ距離のデーターを取りながら発射していった。
工夫すればするほど、徐々に距離が伸びる実感を得ていく。

最後の一つを残し、最大200mほど飛んだのが最高だったが、

これは友人と僕の自信作、頭は重く、火薬の量は3段式で3倍。
途中一挙に燃えないように工夫もした。
他に金属粉を入れたので、火力も強い。

僕は、みんなに
「さいごじゃ、見とれよ」火を付ける。

じゅわっ。ぼっ、かすかす・・・・・。ん・・・・・あかんかったか。

と思った瞬間、どわっ・・・。ジューン。
「おーっ」全員がどよめく。
みんなが走ってついていく。

1段、2段、3段と噴射が強くなるのが見える。こりゃ、最高記録やで。
と思っていたら、2階建て新校舎の上をはるかに飛び越し、消えていった。
その瞬間、ドン。
全員顔を見合わせ、学校の北側の旧校舎からを探すが、何もない。

誰かが、向こうで騒いでるというので、校舎北側の平屋の住宅地に向かった。

友人の家もあるその一角は、スレート瓦葺きの長屋の作り。
中央あたりに人だかりがしている。
「ひえーっ」人に当たっとったらどうしょうと思いつつ、偵察隊を先行させ報告を待つことしばし。

にこにこと帰ってきた偵察隊は、「大丈夫、屋根に穴が空いただけ」。おいおい。大事やん。
全員顔を見合わせて、ほっとするやら、でも穴はいかんやろうと謝りにいこうとすると
そのに住む友達のお母ちゃんが来て、
「あんたら何かやったん」
「なんも」
「なんもやないやろう」
友達が僕の口を塞ぐ。
「もぐもぐ、ぶぼぼ」と塞がれたまま僕。
「まぁええわ、どうせ元から穴があいとったし、一つ増えてもおんなしや」
「ぶほぶほ、ばぼぼ」もういちど僕。
「ほんだら帰るわ」と友人。
「妙な悪戯せんので」とおばちゃん。
ぼくは両手を引っ張られて、背中を押されて連れ戻されてしまった。

その後すぐ全員集合反省会。
「1回でこんなに飛んだらいかん」
「そや、おもろない」
「爆発したりせんとおもろない」
「そりゃちゃうやろ」

結局、その後、目出度く科学部解散が決まり、マッドサイエンティストは誕生しなかった。

あそこで、失敗しとったら、誰か科学者になっとったのに。

こんなんもしたかった。
http://www.ambitio-us.com/index.php?p=19
  


Posted by jintaro at 21:56Comments(4)お馬鹿

あほあほヒストリー(赤い自慢編)

2007年11月27日

小学校3年だったか4年だったか、風邪をひいてしんどかったが、学校へ行っていた。

その日、体がだるかったが、友達と遊んだあと、連れションをした。

並んで、おしっこをしていたとき、ふと見ると赤い小便が出ている。

すごいぞ!俺、赤い小便が出るんや。

どうや、すごいやろう。赤いぞ。

友達が退いてゆく。

しばらくすると先生が来て、お母さん呼んだからと言われた。

見てみて、先生、おしっこが赤いんやで。すごいやろう。でもふわふわとするな。ははは。

先生の顔は真っ青・・・・・

その後、僕は病院につれていかれ、即入院。

毎日点滴3本、注射8本、薬の大量投与で、2ヶ月間位入院する羽目になった。

その間、危ないともいわれていたらしい。

しかし、看護婦さんにかわいがられて無事に退院。

退院後小学校では、運動は絶対禁止となってしまった。

そのうえ、お医者さんには、20歳になるまで再発したら長くは生きられないと言われたそうな。

なんのこっちゃない。そのお医者さんの方が先に逝ってしまった。

僕は、世間の迷惑も顧みず20歳の倍以上生きている。

いまでは、なかなかしぶとくなっているが、今日は風邪をひいてしまった。

しんどいので、早く寝よう。
  


Posted by jintaro at 19:21Comments(2)お馬鹿

あほあほヒストリー(お葬式編その2)

2007年11月26日

お葬式編その1の後の話。いや先だったのかもしれない。
時間の記憶は曖昧だ。話を戻そう。

しばらくして、忙しくしていた父の兄が交通事故で亡くなったらしい。

あまり記憶のない人だったが、実家のお寺で行われるお通夜に、連れて行かれた。

当然、母からは「おとなしーにしよるんで・・・。」

「はーい」

そういうやいなや、奥座敷やお御堂の裏へ探検をしにいったが、

探検は、いつもやっていることので、探検する場所もなく、夜もう遅くなっても静かにならない広い寺の中を疲れ知らずで、走り回っていた。

そうするうちに、父が廊下に出てきたのとばったり出くわした。

父が目をこすっている。

そのとき、父の涙を始めて見た。

「どしたん?何でなっきょん?」

何も言わず、父は僕を押しのけて通り過ぎた。

「ふーん」なんだか、僕の出番のような気がしてきた。

そのとき、ふと思いついたので、座敷に行って大きな声で歌い始めた。

「あいしっちゃったのよーらららんらん、」をリフレイン。

「これこれ、そんなうた歌っちゃいかん。」

じゃこれは?

「骨までー骨までー骨まで愛してほーしいのーよーっ」

今思えば、おじいちゃんであれば寿命だからと受け入れることが出来るだろうが、

若くしての事故で無くなったおじさんだった。その悲しみは深く、受け入れがたいものだったろう。

そんなとき、こんな歌を歌っていたとは・・・・今思い出すと、恥ずかしい。

この事件は、ものごころついた後でも葬式に呼ばれなくなった決定的な出来事だった。

  


Posted by jintaro at 20:45Comments(0)お馬鹿

あほあほ日記(転落人生編近況)

2007年11月26日



いつぞや、ある先生に「勝手に先走ってます」といわれていました。
しかし、言いえて妙、でございます。

最近、つい振り返ると、2年前の自分とは大きく変わったように感じられます。

これも、きっかけは津軽三味線つっちー。
声をかけたのは私ですが・・・・これも先走り。

音楽そのもので出逢った人もいれば、音楽を介したイベントで知り合った人も多く、中には濃い飲みともになった人もおります。
また、これから、なにかを一緒に作り上げていこうとする仲間も、できつつあります。

そういう環境にいられるのはとても幸せです。
ただ、年齢が増えるごとに、元気でいられるのはいつまでか、その中でなにがしたいのか、何ができるのか、時折、自分に問いかけながら、この香川で生きていこうと思っております。

でも先走る体質は今でも変わっておりません。
つんのめってこけるまで、なかなか直らないでしょう。もしかしたら死ぬまで直らないかもしれません。
でもゆるゆると前を向いて、のほほんといきまっしょい。
  


Posted by jintaro at 17:03Comments(0)お馬鹿

あほあほ日記(ハイポサミア)

2007年11月26日

早朝、全身が震えて、歯の根が合わない状態で目が覚めた。

目が覚めても、全身の震えはとまらず、歯を食いしばる。

夏蒲団を足元から引き寄せ、体に巻きつけるようにして体を小さくする。

しばらくしてもおさまらない。

しまった、下着と夏蒲団だけでは、自宅内で凍死しちまうぜ。

うつ伏せになり、敷布団に腹を密着させ、なんとかおさまった。

いま誰かに見られたら、車に引かれた季節はずれのぺしゃんこヒキガエルだ。



まったくもって、スリリングな夜を過ごす今日この頃でござんす。

仕方がないので、寝袋(開いて使う)を出した。
  


Posted by jintaro at 07:32Comments(4)お馬鹿